理系・文系という分け方は間違っている!(2) 〜証明が出来なければ皆殺しである〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142151272.html
の続きです。
理科(自然科学)と数学(神学)の根本的な違いについて分かったところで、
神学とは何か?について更に詳しく記載したいと思います。
神学とは「神様の存在を証明すること」が目的です。
逆に、学問(サイエンス)は「神様が存在しないこと(神の不在証明)」を目的にしています。
ヨーロッパの知識人は、これらの神学と学問の土台の下級学問として「文学」を学び、16歳頃になると「自分は神様を信じない」「自分は神様を信じる」という感じに、学問派か、神学派に分かれていきます。
佐藤優氏と副島隆彦氏の著書
「暴走する国家 恐慌化する世界―迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠」(↓)
によると佐藤優氏は神学の最も簡単な理解とは、
神の啓示を1本と考えるか、2本と考えるか、
ということだと言っています。

暴走する国家 恐慌化する世界―迫り来る新統制経済体制(ネオ・コーポラティズム)の罠
- 作者: 副島 隆彦
- 出版社/メーカー: 日本文芸社
- 発売日: 2008/12/18
- メディア: 単行本
まず神がいて、神が啓示をします。
大きくは啓示を1本として理解するか、2本として理解するかがあります。
一本と考えるのは少数派です。(例えば、優れた神学者であるカール・バルトは一本と考えた。)
多数派のカトリックやロシア正教ではこの世を神が作ったとした上で、啓示が2つあるとしています。
それは『神の啓示”と”自然の創造』です。
この地上は神が創ったものでそこに啓示があると考えます。
だから、別にヤハウェも含めて色んな神様があっても、それは”自然の摂理(プロビデンス)”の一つであって、別に構わないとしたのです。
本当は神様の啓示は一つであるはずなのに「神の啓示”と”自然の創造」と、神様の啓示を2本にしました。
この地上は神が創ったもので、そこも神様の啓示があると、勝手に啓示を増やしました。
(だから今でもカトリックはヘタに自然をいじったら、啓示を汚すことになるのでいけないというエコロジー観念があります)
啓示を否定しては超自然現象は起きないので、神を完全に地上の秩序に包摂しました。
神を自然の摂理(プロビデンス)に置き換えて、なるべく現実世界と無理のない関係を築いたのです。
続きです。
理系・文系という分け方は間違っている!(4)〜魔女狩りとファンダメンタリスト〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142849282.html
理系・文系という分け方は間違っている!(5)〜自然の創造が合理主義へ〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142932468.html
理系・文系という分け方は間違っている!(5)〜自然の創造が合理主義へ〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142932468.html
理系・文系という分け方は間違っている!(6)〜〜科学教という宗教は実在する〜〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142945514.html
