佐藤優、副島隆彦、小室直樹氏の著書を参考に図を作ってみました。
神学 vs 近代学問 (理系・文系を分離させることの危うさ)
http://aikansyheiwa.blog21.fc2.com/blog-entry-44.html
ここで少し書きましたが、
日本は「理系 vs 文系」なんて本当に馬鹿な分け方をしましたが、世界基準ではそんな考え方は前近代(500年以上前)に終わっており、
正しくは「学問(サイエンス) vs 神学(セオロジー)」という分け方が世界基準です。
日本人は、
「目に見えるもの(科学的=理系) vs 目に見えないもの(非科学的=文系)」
という安直で馬鹿の極みの捉え方をしているため、世界基準において、まず土台から間違っており、出発点にも立っていないのです。
世界基準では「学問」という時点で「サイエンス=科学」であり、
それは「自然科学」と「社会科学」に分かれます。
自然科学とは、物理学・化学・生物学・医学などのことです。
社会科学とは、経済学・政治学・社会学・心理学などのことです。
これは、日本人の考える「理系(自然科学)・文系(社会科学)」の認識と似てはいます。
※「なーんだ、日本人の理系・文系の認識で合っているんじゃないか」と思うかも知れませんが、決して、目に見えるもの(科学)・見えないもの(非科学)という分け方ではないことは念を押しておきます。
この学問に対するのが「神学」です。
神学は、哲学や数学などのことです。
なんと、日本で理科系(よく理数系なんて呼ばれる)と考えられている「数学」は『神学』に属します。
ここに気付かなかった(理解しようともしなかった)のが、日本人の知識が国際規模で劣っていることの最大の要因です。
たまに「私は、数学は苦手だけど、理科は得意。」「私は、理科は苦手だけど、数学は得意。」という人がいます。
こういう人は、極めて賢く、本質的に理科と数学の違いに気付いているのかもしれません。
数学と理科の根本的な違いを理解するには「全称命題、特殊命題」という話を理解すると分かりやすいです。
日本で唯一、国際規模で通用する希有の天才学者である小室直樹氏の「数学嫌いな人のための数学―数学原論」(↓)と、
と、同著者の「宗教原論」(↓)を参考に記載します。
「全称命題」と「特殊命題」とは、科学の基礎となる論理学の概念です。
例えば「全てのカラスは黒い」という全称命題があったとしても「一匹でも黒くないカラスがいれば」それは=特殊命題として、「全てのカラスは黒い」という全称命題を論破できます。
逆に「世界中のカラスを一匹残らず調べて、一匹も黒いカラスがいなければ」特殊命題は、全称命題によって論破されます。
日本では何かにつけて「科学的、科学的」と、中国共産党(マルクス、ニューディーラ左翼=アメリカの理科系学者崇拝=キリスト教プロテスタント・ユニテリアン)にでも洗脳されている傾向がありますが、その「科学」とは実は、非常に不安定で弱く脆(もろ)いものです。
なぜならば、母集団(全て)から、一つだけのサンプルを取り出して、その一つを分析して解明しただけで「母集団も全て同じ結果になる」と結論付けるからです。
黒いカラスを一匹だけ取り出して、他のカラスは無視して、その一匹だけを観察してみて「必ず他のカラスも全て黒い」と言い張るのです。「白いカラスや茶色のカラスがいる可能性」は無視します。
このような方法を”帰納法(きのうほう)”と言いますが、特に現代の自然科学はこのように不完全であるため”不完全帰納法”と言われます。
よって、
「自然科学と言うが、今の自然科学の実験は、みんな不完全帰納法ではないか。今までやった実験では、ある特定の法則は成立しているけれど、実験をやらなかったところでは成立していないかも知れない。だとすれば、現代の人間が科学的常識としていない事態だってありうるではないか。」
「自然科学の法則にしても、あなた自身が実験で確かめられたわけではなく、自然科学者がいったことをあなたは信じている、これだけのことでしょう。自然科学の学説も、学問が進んで行くにつれて、それまで常識だったことが次々に否定されていっている。法則と言ったところで、要するに、今の時点では私はこの学者を信用しますということだけのことにすぎない。私は学者も信用しますが、それ以上に聖書を信じます。」
という神学の立場から、合理的に考え抜いたファンダメンタリスト(また後述します)の批判も筋が通るわけです。
例え、統計学において凄まじい数のサンプルを検証しようとも「この世の全てを検証」しなければ”全称命題”にはなりません。
一つでも違う結果(特殊命題)になれば、その全称命題は成り立ちません。
だから、”数学”のように数字という普遍性を持つ学問(普遍性=神様が作ったもの)が”神学”として対立するわけです。
イメージとしてはユーグリッドの祖である古代ギリシアの数学者、天文学者であるエウクレイデスなどをイメージされると良いです。
エウクレイデス(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A6%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%87%E3%82%B9
ピタゴラスの定理で有名なピタゴラス、ガウスの定理のガウスもそうでしたが、彼らは数字のように一貫性のあるものに神を見出して研究しました。
だから「数学者=神学者」なのです。そして神の一貫性ある論理を考える「哲学者」でもあったわけです。
例えば、近年では、海岸線を計算式で表したフラクタルなどをイメージしても良いです。
フラクタル(wiki)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB
こうやって、全ては数学的に証明できるというのが「神学」です。
数学で証明できない宇宙などない(正確にはなかった)のです。
続きです。↓
理系・文系という分け方は間違っている!(2) 〜証明が出来なければ皆殺しである〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142151272.html
理系・文系という分け方は間違っている!(3) 〜神の啓示と自然の創造〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142426379.html
理系・文系という分け方は間違っている!(4) 〜魔女狩りとファンダメンタリスト〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142849282.html
理系・文系という分け方は間違っている!(5)〜自然の創造が合理主義へ〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142932468.html
理系・文系という分け方は間違っている!(6)〜〜科学教という宗教は実在する〜〜
http://rextuseferu.seesaa.net/article/142945514.html
